読書日記PNU屋

読書の記録

金原ひとみ「AMEBIC」

オンライン書店ビーケーワン:AMEBIC2005.7集英社\1,260


拒食症、分裂する自己、天才であるとうそぶく「私」は錯文と虚言を
生み出す女…。
 
金原ひとみはすごい。デヴュー作「蛇にピアス」は、激しい身体改造など
一見かぶいているようでその内容はキャッチーな正統派純愛物語であった。
が、二作目「アッシュベイビー」ではペドフィリア自傷というショッキングな
テーマをグロテスクに描ききり、デヴュー作でついた多くのファンを退けた。
そして今、三作目の本作で、二作目の嵐に耐えたファンをさらなる衝撃で
揺すぶり落としたと思われる。いいのか読者をよせつけぬ作風で行くのか?
純文学ならばそれも潔いか。
 
いきなりだが、桐野夏生の話をさせていただく。桐野夏生がエッセイ
「白蛇教異端審問」で、作家=ヒロインとイメージを重ねる読み方は心外である、
というようなことを書いておられた。私はもともと主人公=作家という読み方は
してこなかったつもりなので、そういう読み方があるということに驚いた。
 
そして金原ひとみである。本作「AMEBIC」の主人公は、働かなくても
充分な金を持っているが、文筆業についており、エッセイなどを書いて収入を
得ている。そして潔癖なほどに、食事を醜く感じる性質を持つ若い女性である。
ここまで見てくると、どうしても著者・金原ひとみのイメージがちらついてしまう。
「アッシュベイビー」はともかく、「蛇にピアス」では大きなピアスをマスコミに
さらし、ピアスにこだわるヒロインとの共通イメージを強調してみせた金原ひとみ
…今回のこれはワザと、作家とヒロインのイメージ融合を狙っているのだろうか。
 
さて「AMEBIC」、読んでいる最中はあまり面白いとは思わなかった。
ヒロインの関知しないところで書かれる「錯文」は奇妙な迫力を感じるが、
同じようなマシンガンのごとき饒舌文体では舞城王太郎や、町田康には
およばない。そして彼氏の存在感が希薄なこと、彼氏よりも彼氏の婚約者の
方がなぜか存在感があるなど、読んでいて奇妙に感じる点もある。
ヒロインが自分を「天才」呼ばわりしたりというのは、なんとも鼻についたり
もする。しかし、それでも私はこの作品が嫌いになれない。
 
光を厭い闇に安らぐ「私」。
神のごとき天才であると自負しながら、
見下しているはずの一般民の作った社会には窒息しそうなまでに居場所のない「私」。
完璧なはずなのに、拒食という緩やかな自殺の途上にあり、
錯文を綴る絶望的に壊れかけた「私」。
その「私」のアンビバレントな感情が、読む者の心をぞわぞわとさわがせるのだ。
肥大した自我をひきずりながら、それでも生きる「満身創痍」なヒロインは、
私の中にも確かにある闇を鮮やかに想起させる。
だからこそ、私はこの作品を評価したい。
けして万人向きではない、けれど、そこには社会に適応出来ず苦しむヒロインからの
強烈なメッセージが感じられる。
 
ラストはというとあまり変化がなく、ああまたこんな終わり方か…とがっくり
しかけたのだが、これってもしかして…この彼氏のあまりの存在感の無さは、
ひょっとして×内彼氏ってこと?だとすると彼氏の婚約者との唐突な対決
エピソードも納得出来るし、ヒロインが美しく天才であることも、全て彼女の
×内世界なのであったら…と想像したら無性に恐ろしくなる作品であった。

p.s.しかし、「太陽神」の正体には驚愕至極、ぶっ飛んだなぁ…。
このまま良い感じに歳を経て、笙野頼子みたいな作家になっていただきたい。