読書日記PNU屋

読書の記録

面白い本を読め。駄作を読んでるヒマはないのだ。


ごくたまに、このブログや書庫のサイトを見てくださった方から
ご意見をいただくことがある。

「ほめている割に評価が低い」というものだ。


私の評価は辛めになっていると思う。
小説として成り立っている作品であっても、読んで退屈を
覚えたら★2点。
そこそこ面白くとも★3点どまりが多い。


厳しくしている理由はまずひとつに、
人生において読書に割ける時間など限られていて、
駄作を読んでいるヒマはないからである。


駄作はどこから駄作であるのか、それは個人差が大いにあると思う。
たとえば私は肯定的レイプシーンのある本は一様にダメである。
エンタメとして受け入れられない。
どこにNGのトリガーがあるか、それは人それぞれなのだろう。
トラウマが多ければ、それだけ受け入れられない小説も
増えていくのかもしれないし。これは自分の器が小さいということの暴露。


ふたつめは、面白すぎるすばらしすぎる作品があること。
それらが燦然と輝きすぎてそれと比較するに、
そんじょそこらの面白さでは★4点や満点★5点はとてもあげられない。


駄文は読みたくないことものである。
駄文=駄作、ではないが文章と言うものは思っているより読むと伝染する。


良い文章、美しいリズム感のある文章はうつりやすい。
町田康の本オンライン書店ビーケーワン:テースト・オブ・苦虫 3を読むと、
その後書く日記がなんとなく町田節チックになってしまったり…
というのはよく経験するところ。
どうせウツるのであれば、美文をウツしたいのが人情だ。
だからつまらない本を読んでいる余裕はないのである。


読む前にそれとわかればよいのだが、
活字は読んでみないと面白いかどうかがわからないもので、
(賞の選考委員ですら票がわかれるように)自分で味わってみないと
合うかどうかがわからない。
書評サイトで自分が絶賛したものがヨソで酷評されていたり、
またはその逆もよくあることである。
明らかに構成が稚拙だとか、日本語の体をなしていない作品なら
ともかく、好みは誰しも分かれるところ。そこは仕方ない。


だから小説の作家さまがたには申し訳なく思いつつも、
ハズレと思えば文句をつらつら書いてしまう私である。
あふれる期待をもって読んで、はずした時の失望がそれだけ
大きいということだ。


最低限、人間としての礼儀と思って低い評価をした本には
「どこがつまらないと感じたのか、それはなぜか」
を一応文章の形であらわしていくので、ご容赦ねがいたい。