読書日記PNU屋

読書の記録

島本理生「ナラタージュ」

ナラタージュナラタージュ
島本 理生

角川書店 2005-02-28
asin:404873590X

Amazonで詳しく見る


 泉は高校生の時、いじめから救ってくれた葉山先生のことを大学生になっても一途に思っている。しかし先生には泉とつきあえないわけが。そんな彼女に思いをよせる小野が現れ、泉は…。
 
 これはすごく巷での評価が高い作品ではあるのだけれども、私としてはう〜つまんなかったごめんなさいと謝るしかなく、どうにも私には感性が合わないらしき物語であった。 
 出だしはキャラ立ってるし、場面場面で色合いを細かに描写してイメージを強く喚起させるなど美しい世界で好みだったんだけれど…。中盤からだんだんと私の心に疑問という波が立ち、ラストは大暴風となったのであった。
 まず教員・葉山のずるさ。それだけ繊細なのかもだけど、十も下の女性に甘えていて情けないよ。相手が思いを寄せていてくれたら頼るの?立場を越えた恋愛?それにしたって、配偶者をなんとかしないのってどうよ。好きは好きでも責任のとれない好きって、都合良すぎると思うけれど。 
 あとはヒロイン泉が私にはダメ。うじうじしてんなら略奪すればいいのに。略奪哀より死ぬ方が簡単ですか?小野が弄ばれて可哀想だな。恋はすなわち狂気に近い。ほんとに相手を好きになるっていうのはさ、理屈じゃどうにもならないことなんじゃないの?小野はその点悪くないと思うんだな私は。そこまで彼を宙ぶらりんにして追い込んだのは、誰かという話で。それともこれは、肉体のつながりでは心は自由にならないという教訓を込めた寓話なの?それにしては、あのラストはなに?出来ることはいろいろあるでしょう葉山先生、たとえば身辺整理だとかさ。
 全く感動出来ませんでしたわ。
 つまり、最初から責任を取らなくていい恋なわけで。どちらかが踏み出せば変わるかもしれない、なのにとどまり続けるところが理解不能。本当に恋ならば理性で制御出来るものかなぁ?後輩の突然の死も意味不明だった。当事者同士が自分たちを悲劇とみなすにしても、責任を放棄した関係を美しいとは私には思えない。