桜庭一樹「ファミリーポートレイト」
ファミリーポートレイト 桜庭 一樹 講談社 2008-11-21 asin:4062151324 Amazonで詳しく見る |
虐待するかと思うと過剰な愛を注ぎ、娘に依存する母親・マコ。娘のコマコは母に呪縛されながら、母を求めて生きるが。
大きく幼女編・少女編・成人してから編の三つのパートに分けられると思う。
幼女バージョンはエロスとタナトスと幻視たっぷりで、濃厚に桐野夏生や岩井志麻子(I'm sorry,mamaとか邪悪な花鳥風月とか)っぽいけれど、それなりに面白かった。
成人編も創作せねば生きられぬ業が書かれていて、著者の近況を思わせるところもあり興味深かった。
しかし、ただ流されて性交しまくるだけの少女編は失敗であると思う。ていうか、ない方がよい。ここはヒロインが愛する人と別れ、やぶれかぶれになったことを表しているのかもしれんが全くリアリティがない。それとも、こういうだらしのないのが最近のリアルなのかな?レイプとイジメが氾濫する、携帯小説のように。
ああ、「えくすたしー」には腹が立った。「私の男」でも腹が立ったが、なんというか、私は感性がこの作家と合わないのかもしれない。あまり腹が立ったので、やや内容に触れる。本書を未読の人はこの先読まない方がいいと言っておく。
「えくすたしー」編の何が気に入らないかと言うと、まず「ザ・ハイロウズ」の歌詞、世界を借用していること。とくに、249ページを読んでみてほしい。
【flip flop2】収録の【青春】参照。
初出は
「音楽室のピアノ」「ジェリー・リー スタイル」「姫林檎」「あの娘が高く飛んでる」「時間が(中略)止まればいい」などなど、【青春】の歌詞のキーワードがてんこもりなのである。
好きな曲だから使った、のかもしれない。私もこのモチーフが「七竈」や「読書クラブ」で使われていたなら、腹が立つこともなく、かえって粋に感じたかもしれない。
だが、こんな自暴自棄な、無軌道な馬鹿な若者の物語に借景して、この曲を汚してほしくなかった。
ハイロウズにはそのものズバリ「ecstasy」という曲もあるのだが、それはおいといて。
その後、ヒロインは小説家となるが、著書の名前が「荒野、遥かに」だったりする。
これもまた、ザ・ハイロウズの【Do!! THE MUSTANG】収録曲・【荒野はるかに】とかぶっているので著者が意図的にやっているのだろう。
別にインスパイア禁止って言うわけじゃなくて、ちゃんと奥付にでもいいから参考資料として書いておいてほしい。私の見落としでなければ、この件でのクレジットはないようだ。
これが、ビートルズの「イエスタデイ」なんかだったらみんな知っているだろうけど、ハイロウズを知っている人は限られてくると思うし。
表紙の絵はだれだれの作品で、なんとかイメージが版権持ってます、みたいにあるのに、なぜ音楽にはないのか。音楽からのインスパイアも一言書いておくべきでは?
(私は著者の熱心なファンではないので、もしかしたらインタビューなどで言及があるかもだけど。まえがきでもあとがきでもいいから、著書にクレジットを入れてほしいのだ)
そして、最後にこの小説…と言うか、桜庭作品の弱点に触れておかねばなるまい。
1.古臭く過剰な「親子神話礼賛」
子は親を無批判に慕うもの、という設定スタイルを「私の男」から踏襲しているが、これは感心しない。この作品も「私の男」と同じく、虐待されてもされても聖人のように親を受け入れる話で、ゲンナリしてしまった。おはなしだからと言えばそれまでだが、現実には酷いことをされれば子とて親を憎み嫌いになるものだ。
2.親離れ・子別れからの「逃げ」
「私の男」では、最初に父親と娘との別れが書かれるが、そこでは父は娘の前から失踪する。過去にさかのぼる展開から、その理由が明かされ語られることはなかった。
そして、本書においても母親は娘の前で入水し、生死は最後まで明らかにされない。女親か男親かの違いはあるが、書かれている親子像は同じで、似通ったものでしかない。文学でもなくエンタメにそこまで求めるのは筋違いかもしれないが、親離れのパターンがいきなり失踪のみというのは、都合がよすぎやしないかと私は思う。
3.物語の「骨折」
「赤朽葉」では世代交代により章ごとの連続性のなさをカバーしてみせたが、本書は通して読んで、ヒロインがとても同じ人物とは思えない。連続性を感じない。その違和感はおそらく、奔放な高校生活パートのせいだと思うが。
「ファミリーポートレイト」は物語を糊付けるガジェットとしては脆弱すぎた。
以上、私見だが記す。
p.s.心霊(?)写真の話もどっかで読んだような…デジャヴ???
要するに、マ○コの物語だったということで。