池上永一「テンペスト」上・下
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嵐の日に生まれた類い稀なる美貌と頭脳を持つ少女・真鶴は、琉球王国のため男装し役人を目指すが。琉球王国の繁栄と滅亡を描く長編小説。
私がこの著者の本を読むのは「シャングリ・ラ」に次いで二冊目なので、もともと沖縄にまつわる小説を書いておられるとは知らなかった。
私が幾つか読書ブログをまわってみた印象だと、この小説すごく評判がよい。私も本書が面白いかつまらないかの二択で答えなきゃ斬首すると言われたら、本書は面白い部類に入ると言うと思う(退屈しないという意味で)。
だが、私には合わない小説であった。別に面白いと感じる人を否定したいのではなく、ただ単純に、『ワタシは感心しなかった』というだけのことである。あ、見返しのイラストは美麗で好きだよ。
男装の麗人が性別を隠してバレないように活躍するのは古くは氷室冴子の小説「ざ・ちぇんじ!(「とりかへばや物語」の現代リライト版)」、最近では岡本倫の漫画「ノノノノ」のように定番の設定だから、面白くならないはずがないのだ。
だが、私が本書にノりきれなかったのは幾つかの理由がある。
まず、本書にただよう1970年代少女漫画テイスト。ヒロインがあっさり一目惚れしたり、次から次へとトラブルに巻き込まれ、または自ら突っ込んでいく様子が、私には昔の少女漫画(美内すずえみたいな)とかぶってしまうのだ。
そして、あふれる既視感。本書のヒロインが一人二役「ざ・ちぇんじ!」なのはまあ置いといて、似たようなストーリーならば、先行作(舞台は多少違うが)の酒見賢一「後宮小説」や山岸凉子「青青(あお)の時代」の方が正直私好みなんだわ。
ヒロインの男装ががバレない設定も信じがたい。なにしろ、罪人として拷問されてもバレないんだから。罪人って、ふつうふんどし一丁にして痛めつけない?服を着せたまま拷問とは、琉球は紳士の国なのかもしれないけどさ。
真鶴は男女二役をするうち二重人格のようになるのだが、気の持ちようだけで知り合いに会ってもバレないのが、これまた信じられない。
ちょっと長くなるので続きはたたむ。
だって、女の時は厚化粧っていうならわかるが、美しすぎてメークするとかえってくすむから、なるべく人の手を加えない方が輝くっつー絶世の美女なんでしょ。で、男装の時はもちろんノーメイクでしょ?なんでバレないんだよ(爆)
共通の顔見知りに会ってもバレないってどんだけ。クシャおじさんばりに変化するのか、ジキルとハイドほども変わるんだろうか?
ノれない最大の理由はヒロイン。「シャングリ・ラ」でもそうだったんだが、美女でいい子ちゃんなヒロインに興味が持てないせいだろう。敵役の真牛や脇役の真美那なんかには、どぎついほどの魅力があるのだがなあ。
とくに、ヒロインをはじめ主要人物が直情径行型で感情のままにやらかすパターンにガッカリする。みんな行動パターンがいっしょなんだから。これは、古い時代とかお国柄ではすまないことなのではないか。
あの女性(ネタバレにつき名前を控えておく)が母性にめざめるシーンでは母性神話の古臭さにゲンナリする。まあ、源氏物語みたいに生霊飛ばしたり、和歌には和歌で返す故事そのままだったり、人の意思で雷を落としたりともともと神話的世界だから母性神話マンセーでもしょうがないのかもしれないけど。
オタク学的に読むと、悪役でエロ宦官が出てくるよね、去勢されながらカラダの一部がソレ(ネタバレを防ぐため伏字にしている)っていう設定。そんなのを読むと、私なんかはサガノヘルマーの漫画「BLACK BRAIN 2 (2) (ヤングマガジンコミックス)」に出てくる「隷獣」を想起してしまう。隷獣すらも、さらに沼正三の怪作「家畜人ヤプー」に出てくる、やはり去勢されカラダの一部がそんなモノになった異形の性獣「カンニー」の延長線上にあるのだが。もう新しい何かなんてこの世界にはないのかもしれないな。そういう意味では、「テンペスト」はネタのリサーチ&リユース・リサイクルが巧い小説であると思う。
過去のオモシロイことをパッチワークしていく手腕は見事なんだが、ラストにカタルシスを感じない。あの儀式の意味はいったい?そんなわけで、私には良さがカイモクわからない小説であった。