妖怪漫画はどこへ行く?
少女奇談まこら 1 (1) 平野 俊貴 植竹 須美男 阿部 洋一 リイド社 2007-05-19 asin:4845836122 Amazonで詳しく見る |
今日の話題は主に「少女奇談まこら」(1)だが、ファンの方は気分を害するかもしれないということを最初に断っておく。
月刊少年ファングの表紙が「まこら」との出会いだった。個性的な絵柄にひきつけられたのである。だが当方は賃貸住宅住まい、なるべく買う本の量を控えているくらいなので、分厚くかさばる月刊誌を買うのは論外。そしてヒモのかかった月刊誌を立ち読みするわけもいかず、コミックスにまとまるのを待っていた。
初読しての感想は、ああ、やっぱり「ゲゲゲの鬼太郎」みたいだな…ということ。どのくらい似ているかというと「Madara―魍魎戦記摩陀羅 (1)
」が「どろろ」に似ているくらいの度合いである。
妖怪漫画は、どうしても水木しげるの呪縛を超えられないのだろうか。水木作品自体、鳥山石燕など古典的妖怪画を参考にしているのであって、妖怪の表現が似通ったイメージになるのは仕方ないかもしれない。それでも、「あわせ壁」→「ぬりかべ」、「一枚布巾」→「一反もめん」とお供の妖怪まで「鬼太郎」重なるのは何ともかんとも。唯一「小袖の手」を戦闘的に描いたのは新しいが、本家・鬼太郎でも祖先の霊毛で出来たチャンチャンコが戦うしなあ。ねずみ男オマージュのようなコウモリヤローも登場するし、ヒロインの目がオヤジと関係しているというのも「鬼太郎」をなぞったようにそっくりである。モデルが透けて見えてしまうのはオマージュとしての狙いなのだろうか?
初めて読む妖怪漫画がコレであるというならばいざ知らず、水木しげるだの魔夜峰央などの妖怪漫画を好んできた自分にはいささか…いや、かなり物足りないのであった。一番の問題は、ヒロインまこらに感情移入できないことだろう。いや、私はできるよ?という人もあろうが、私に言わせてもらえば彼女は感情の表出がほとんどない。クールな性格なのだといえばそれまでだが、いきなりお供の妖怪たちがふってわいても淡々と受け入れていく様に違和感を感じる(そこが萌えポイントなのだとしたら失敬)。
私とて世にある全ての妖怪漫画を読んできたわけではないが、水木しげる以外に比較的うまくいっている(ストーリーが魅力的、妖怪の禍々しさとホラーらしい残虐さをまといながらもセンチメンタルな読後感を残す)ものというと島本高雄・著/森野達弥・画「無宿狼人キバ吉」や、魔夜峰央「妖怪始末人シリーズ」などだろうか。森野作品は水木直系の世界だし、魔夜作品も色濃く水木しげるワールドの影響を受けている。これらの作品と比べては、掲載媒体の制約もあろうがストーリーの濃さやキャラの魅力において「まこら」は見劣りしてしまうのだ。類作より秀でているところは、かわいらしさくらいではなかろうか。
ストーリーやキャラクターの出来とは全く別に、妖怪フェチとしては妖怪のえがかれかたを観察すると言う楽しみ方もある。その点においては「まこら」は楽しめるといえる。妖怪の描き方には、水木作品のイメージのくびきを逃れんがために劇画タッチで写実を追求した猿渡哲也「異形人おに若丸」や、「新世紀エヴァンゲリオン」における使徒っぽいデザインを採用した瀬川はじめ「喰霊」があるが、「まこら」は後者に近い。今風にリニューアルされた妖怪デザインを楽しむのが目的であれば、これでも充分であろう。
p.s.で、まこらの親が妖怪皇ってことは、お父さんがぬらりひょんってことでおk?