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読書の記録

トマス・ハリス「ハンニバル・ライジング」

ハンニバル・ライジング 上巻 (1)ハンニバル・ライジング 上巻 (1)
トマス・ハリス 高見 浩

新潮社 2007-03
asin:4102167064

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ハンニバル・ライジング 下巻 (3)ハンニバル・ライジング 下巻 (3)
トマス・ハリス 高見 浩

新潮社 2007-03
asin:4102167072

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 食人鬼ハンニバル・レクターがいかに誕生したかが明かされる。
 サイコ・サスペンスの傑作「羊たちの沈黙羊たちの沈黙で華々しく登場したハンニバル・レクターは続く「ハンニバルハンニバル〈上〉で衝撃の展開を迎えたわけで、続編はどんな展開になるのか気になっていた。読んでびっくり、本書はハンニバルの生い立ちと初恋、そして殺人に染まるまでの過程を描いた物語であった。
 過去が舞台になるのは別にかまわないのだが、閉口するのはいきなり持ち込まれた欧米人的視点の日本情緒である。ヤマトナデシコ、和歌、日本画、スズムシ、ウニ、サムライ、刀、鎧、ヒロシマ。あまりにいかにもな日本観が連発し、首をかしげてしまう。古き良き日本が外国の方にはエキゾチックで魅力的に映ることは知っていたが、まさかあのT・ハリスが、ハンニバル・シリーズでこれをやるなんて。いくらレクターが博識だという前置きがあったにしてもこの日本尽くしは無理がないか?どうもなじめない。
 そしてレクターの義理の叔母は、日本人マダム・ムラサキ。最初「紫」と書いてあるからユカリだと思ったら、ムラサキ。平安時代じゃあるまいし、そんな名前の日本人はあまりいないのでは…名字が村崎さんならたまに見るけど。
T・ハリスは外国人なりに日本文化をよく調べたとは感じるけれど、やはり当該国の人間からすると違和感がある。日本のことをイメージでしか知らない人が読むぶんにはいいかもしれないが。
 そして、最大の失望は本書には何ら衝撃がないこと。そんなに期待されても著者もつらかろう…とは思うが「羊たちの沈黙」ほどの鮮烈な衝撃も、「ハンニバル」ほどのサプライズもない。
 過去を後から書くのはハンデがある。なぜならレクターが残酷なことをしたどころで読書はあのレクターならこのくらいしても不思議はないでしょ、と思うにすぎないし、レクターがどんな窮地に陥ったどころで、読者は彼が生き延びてクラリスと出会うことを知っている。読む前から半ばネタバレしているようなものである。サスペンス度でいったらはっきり「レッド・ドラゴンレッド・ドラゴン 決定版〈上〉以下だ。
 思うに、ムラサキ夫人との日本情緒たっぷりな交流を描きすぎて、レクターの内面描写がおろそかになってはいないか。彼の最初の殺人も淡々としているし、その後もしかりである。彼はなぜ食人連続殺人鬼となりしか、読者の一番知りたいことがピンとこないのだ。確かに妹の件はある。妹を文字通り身内に取り戻すための食人であるなら、あの発言で彼は何故ショックを受けるのか。ヤング・レクターには心底がっかりであった。彼の行動で光るのは医学部での見事な冒涜トリックであるが、あれも「羊〜」で見せた大立ち回りからすれば、あまりに小粒。パッとしない本書だから目につく程度である。
 日本かぶれもそうだが、あまりにご都合主義な展開にもがっかりである。どこの馬鹿が仇敵の前にわざわざ自分の叔母をのこのこ連れて行くのか。あのレクターとはにわかに信じられぬ不手際である。
 解説によれば、本作は著者による脚本で映画化されるという。あっそうか、本書は小説じゃなくて脚本なのか?だからこその味気なさとハリウッド的ご都合主義がはびこっているのか?
 それとも、我々は戦慄しながら喜ぶべきだろうか、もはや著者にも掌握しきれない、希代の殺人鬼レクターの存在を!生けるキャラクターとして彼が著者の頭の中から立ち去ったらしいことを?

p.s.人がシリアルキラーになる理由には大きな2つの説があり、ロバート・K.レスラーらが唱える幼児期のトラウマ体験説と、最近流行してきた経験も環境も関係なく生まれつきの殺人脳があるという説があるが、本書ではどっちつかずの印象であった。